寝ぼけた脳内に 電話のベルが鳴り響く。 枕元のデジタル時計に目をやる。そこには05:46の文字……朝早くから とんだ嫌がらせだこと。 「はい」 抗議の意味も兼ね、掠れ声のまま電話に出た。 「おはよう さん。君の大好きなメローネさんだよ」 「…………」 即座に電話を切ってしまいたかったが、訊かなければならない事がひとつある。 「いやあの……どうして私の家の電話番号知ってるのよ」 「俺のリサーチ力を舐めてもらっちゃあ困るぜ」 リゾットの仲間じゃなければ 通報していた、絶対に。 「オッサンみたいな声してるけど寝てた?ごめんね」 「当たり前でしょ……普段七時半起きなのよ、私」 「さんって何の仕事してるの?」 「小さな喫茶店でアルバイトを。用が無いなら切りますけど」 「待った待った!君ととある場所に行こうと思って電話したのさ」 だめだ、瞼が重い。 「本題だ。さん 俺とサルディニアに行こう」 「……はあ、私 忙しいんで。というか眠いので切りますね」 「リゾットが最期に居た場所だよ」 最期に居た場所 ――その言葉で 不覚にも目が覚めてしまった。 「なにそれ 初耳なんだけど、」 「さんはサルディニアに行った事ある?」 「無いけど……」 「決定だね。今週の日曜日 空けておいて、迎えに行くから」 「そんな事を急に言われても!」 「日帰りだから安心して。じゃあ切るよ」 「えっ ちょっと待っ」 プツ、という虚しい音と共に電話が切れた。一方的に切れた。 「……嫌な男!」 AneLLo 2 Avanziamo 近所の公園でサンドウィッチでも食べたくなるような、快晴の日曜日。 ……だと言うのに 私は何故かメローネという名の身勝手な男と サルディニア行の小型飛行機に揺られている。 メローネは大きなサングラスをかけ、赤地に白色のチェック柄ハットを被り、真赤なロングコートを羽織っている。 乗物酔いより先に色酔いしそうだ。 「ねえ、そのファッションなんなの。目がチカチカして吐き気を催すんだけど」 「俺から言わせてみれば 君のファッションもなんなの。上から下まで漆黒、さしずめ動く木炭だ」 「貴方は本能のまま絵具をぶちまけた小学生の作品って感じだわ。視界が煩い事この上なし」 「解ってないなァ」 「もう!私の視界に入ってこないで!アンタのせいで酔いそうなのよ!」 ローマから飛行機でおよそ一時間。結局来てしまった、サルディニア。 リゾットとのデートは 基本的に「安・近・短」であった。 彼自身は国内を忙しそうに動き回っていたが、大抵 お偉いさんからの命令を実行しに行っていたのだろう。 故にであろうか、彼はあまり遠出をしたがらなかった。 私も 彼と一緒に居れたらそれでいいと思っていたので、遠出をしたいと強請る事も無かった。 ただ 一度だけ一泊二日で旅行をした事がある。 高級リストランテのペア食事券を貰ったという理由で シチリア島にまで赴いたのだ。 国内といえど、デートの行動範囲が狭かった私達にとっては かなりの遠出といえよう。 「付き合って約二年、初めての遠出だね」 そう呟くと リゾットが頭を軽く下げた。 「いつもすまないな、」 「いや あの厭味のつもりで言ったんじゃないの!嬉しくて、その……」 慌てる私をよそに、リゾットは優しく微笑んでいた。 その顔を見て 胸の奥がきゅうと締めつけられる感覚に襲われたのを 今でもよく覚えている。 「、リストランテに行く前に 寄りたい所があるのだが」 言われるがままに着いて行くと、そこには煌びやかなドレスショップ。 「うわぁ!いかにも高級そうなお店。なになに?入口でVIPの出待ちでもするの?」 「此処でのドレスを買った。着替えてほしい」 「へぇ。……えっ!?」 サイズぴったりの ディナーに相応しいドレスを リゾットは私に内緒でオーダーしていたのだ。 イタリア男性って皆こんな感じなのかしら、などと要らぬ事に思考を巡らせながら 着慣れぬドレスを身に纏った。 頭の天辺から爪の先まで スタイリストに整えられる。まるで着せ替え人形になったようだ。 モノクロからカラーに進化した私を見て、リゾットが優しく微笑んだ。 その笑顔ひとつで 一日の疲れが吹っ飛ぶのだから 不思議なものだ。 「、今晩は何もかも忘れて楽しもう」 「はい!」 「……さん……さん!」 ド派手なサングラス男が 私の顔を覗き込んでいた。 「ああ……メローネさん」 「リーダーの事考えてたでしょ。海眺めながら 口を半開きにして呆けてたよ」 「鋭いのね。ごめんなさい、彼と一度だけ遠出をした事を思い出しちゃって」 「別に謝るような事じゃあないさ。……うん」 此処はサルディニア。隣に居るのはメローネ。シチリアよりも、肌寒い。 「リーダーとは何年恋人同士だったの?」 「三年半。逆に、メローネさんが私の存在を知ったのはいつ?」 「一年以上前かな。リーダーって彼女居ないでしょって訊いたら、居るぞって。イルーゾォもビックリ!」 「いるーぞお……?」 「ごめん内輪ネタ。とにかく 俺達のチーム内では暫く“リーダーの彼女論争”が起こったよ」 「なにそれ」 「舞台女優説、ギャング説、美人局説、熟女説……全部外れたけどね」 メローネ自体はさておき リゾットの話を誰かとするという行為が 非常に楽しい。 私の彼氏ギャングなの!だなんて大っぴらに言える筈も無いので、友人達にも彼の話は殆どしなかった。 しかし 居ない人の話をするという事は 少し淋しくもある。 指輪に埋め込まれているムーンストーンが 自己主張するかのように光っている、そんな気がして。 私は 海に向かって手を合わせた。 (貴方が最期に見た景色を 今、私も見ています。ついでに 貴方の同僚も。) 「……さん、それはお祈りのポーズ?」 「ええ。彼に話しかけているの」 メローネが 溜息を吐いてベンチに腰掛けた。 今迄気付かなかったが、少し右足が動かし辛いようだ。 「足、大丈夫?」 「毒蛇に咬まれてから ちょっとね」 「毒蛇って……どういう生活してたのよ」 「殺るか殺られるかの世界で 愉しく過ごしていただけさ」 何があったのかは知らないが その台詞は 心なしか自虐しているように聞こえた。 「俺もリーダーに話しかけようかな」 「何を話すの?」 「なにもかも終わったさ、ってね。ははは!」 メローネが自嘲気味に笑う、些か淋しそうな表情を浮かべて。 ――私の“そういう顔”が見たくて 貴方は私の前に現れたのでしょうに。 「たまになら メローネさんの話し相手になってあげるよ」 「どうしたの、俺が憐れに見えた?」 「うん」 「……素直な女性は、嫌いじゃあない」 しみったれた顔をした男と女の間を、潮風が吹き抜ける。 なんだその顔は、なんて リゾットに笑われているような気がした。 (12.12.2 メローネとはきっとよいお友達に) |