私が予備校で退屈な授業を聞き流している間 彼はひたすら練習に勤しんでいた

今は部活に入っていない
中学二年までは運動部に所属していたのだが 人間関係がドロドロしていたので懲りた

だが あと約半年で高校を卒業する
同級生達も部活を引退し 受験勉強中心の生活にシフトし始めている





「知ってる?」


私は、重いのだろう

彼が私を見てくれているのか不安で仕方なかったのだ
野球をしているのは格好良い、問題はそこに付随する女達の影
彼を信じられない私自身に 苛々する


「慎吾さん また告白されててさぁ」

隣に座っている幼馴染のこの男は 愉快だと言わんばかりの表情でそう呟いた
この男も彼と同じく 野球が生活の軸になっている


「意味わかんねぇな〜 同じ三年なら和さんの方が絶対いい人なのに」

「御尤もだと思うけどー…それは私にも言ってるの?」
「まあね でもちゃんに和さんは勿体無いから 別にいいんだけどさ」
「…たった今、準太に彼女が一生出来ない呪いをかけたわ」



今年の「夏」は もう終わったのだ

準太の前ではなるべく夏の大会の話はしないよう意識していた
…まぁ 逆に「気を遣われると惨めだから止めろ」と怒られたが


「明日から夏休みなのに 私と雑談してていいの?」
「あー、時間はいくらでもあるから」

現在、クーラーのよく効いた三年六組の教室で 私達はだらだらしている
終業式の日の放課後なんて 皆 蜘蛛の子を散らすような勢いで学校を出て行くので 他に人影は無い

私のクラスに居れば 準太のファンが現れる訳でもない
幼馴染という単語を一切信じない女子達は さぞや私を訝しげに見ている事であろう
“先輩”でよかった、もし一年生ないし二年生であったら やっかみや陰口を言われそうで…ああ、恐ろしい

そもそも、私には同い年に付き合っている男が居るのだから ・・・一応ね


「いくらでもって……うん、そうね 夏休みはこれからだし」

野球関係では完全に部外者な私が何か言っても 仕方の無い事
あれ以来 部活に出ていないようだけど 今後どうするかは本人が決めるのだから


「ところでちゃんはさ、大丈夫な訳?」

準太が愉快そうに訊ねてくる

「・・・何が?」
「おっ余裕だね、意外とモテてるよ?」


やはり慎吾の事か 知ってるよ、と 心の中で返事をする
さしてこれと言った特徴も無い私が彼を満足させられる存在になれるのか、甚だ疑問だが


「…慎吾に 私より好きだと思う女が現れたら それまでだよ」
「柄に似合わず弱気じゃん」

私が弱気だって知ってるくせに よく言うよ

「慎吾さんは…一応引退だし 一緒に居る時間も増えるんじゃないの」
「でも受験勉強しなきゃいけないし…それに、」

よくよく考えてみれば 野球以外に慎吾が好きな事柄なんて あまり知らない
私の事すら 好きなのか如何なのか分からないというのに


「…あぁもう 何考えてるんだろ あいつ」




その時 ガラリと教室のドアが開いた


「おぉっ誰か居ると思ったらと・・・準太じゃん!」

うわっ、と 小声で準太が呟いたのを私は聞き逃さなかった
教室に入ってきたのは慎吾と その後ろに居るのは山ノ井君だ


「またね、ちゃん」

バツの悪そうな顔をして 準太がそそくさと教室を出て行った
とはいえ 流石に先輩二人組に会釈はしていた気がする


「大丈夫…今はアレでも もうすぐちゃんと吹っ切れる、準太ならまたマウンドに戻るよ」

苦笑していた二人に 私はそう言った
大丈夫、準太はここで終わるような男じゃない


「あっ そういやさんって確か慎吾の、」

山ノ井君が言わんとしている事を察したので 軽く頷いた

「じゃあ お邪魔虫は退散しなきゃね」

そう言うと 山ノ井君も手を振って去っていった
慎吾を置いていっていいのか?もう用は済んだのか?


今迄準太と二人で話していた空間が 今度は慎吾と二人きりの空間となる
空気感が、変化する


「…で 慎吾さん、忘れ物ですか?」
「終わってすぐに部室行ったから 教科書机の中に置きっぱなしだったんだよ」
「へぇ まだまだ忙しいのね センパイは」


教科書を鞄に投げ入れている様子を 私は黙って眺めていた

さぁ 準太と仲良いなら部活出ろって言ってくれよ」
「私は言える立場じゃないよ…今は待ってみたらどうかな」
「あいつの事は に訊くのが一番だよな、うぜぇ位 よく解ってる」

教科書が 鞄へと乱雑に詰め込まれていく


「…そんなに苛々しないでよ」

日本史の教科書、頁の半分がくしゃって折れているのが気になってしょうがない

「嫉妬してるんです」
「…準太と恋愛的展開が起こりそうな匂いすら無い事は分かるでしょ!?」
「そりゃ分かってるけどよ、誰も居ない教室で二人でニコニコ喋ってるの見たら普通に凹むぞ」


・・・そういうものなのか

いちいち嫉妬してるのは 貴方じゃなくて私の専売特許じゃないのか


「そっちだってよく女の子と喋ってるじゃない、終いには告白されるし」
「そんな事を言われても 別に俺が告白してる訳じゃないだろ」
「そりゃあ…そうだけど」
「あれ、妬いてるの」
「………」


窓の外には真青な夏空が広がっているというのに なんとも馬鹿馬鹿しいやり取りを交わしているなと思った


「私 慎吾が引退してから 今迄以上にどうすればいいか分からない」
「…それは どういう」
「野球以外に何が好きなの?私が何をすれば喜んでくれるの?全然分からない、だから怖い」


しまった、完全に“重い”発言だ

どちらかというと慎吾は軽い方だから 重い女は嫌われる、って 自制していたのに 台無しだ



「…は帰んないの?俺もう帰るけど」

「え?…あぁ 私ももう帰るつもりで」
「じゃ、一緒に帰るか」


そういえば 一緒に帰った記憶なんて殆ど無い
この人は 昨日も今日も明後日も 野球、野球、野球・・・そんな日々を過ごしていたのだ


「あと、何をそんなに怖がってるのか知らないけど はそのままでいいから」
「・・・・・」

呆けた顔でいたら 下唇を啄まれた
そういう行動だけは 素早いんだから


「俺もが放課後に何してるのかも知らないし 分からない事が多くて焦ってたのは事実」
「…放課後は…予備校に行って 終わったら直ぐに帰宅…その繰り返し」
「じゃあ 俺もそこ行こっかな〜」

そう言ってにやりと笑うものだから 私まで思わず笑ってしまった
勉強する気もないくせに 調子いいのね

「同じ予備校に河合君も来てるよ」
「…マジかよ」



やきもきするのはモテる男のカノジョってヤツの宿命なのだろう、仕方ない
…そう割り切って カノジョの座を楽しむ事が私に出来るのか


「暑いな、帰りにアイスでも食ってくか?」
「あら、初々しい高校生カップルみたい」
「おいおい 俺達だって付き合ってるだろ、初々しいかはさて置き」

付き合ってるだろ ――その響きに 思わずフフッ、と笑みを零してしまった

「なに笑ってんだよ」
「いやぁ 慎吾さんが奢ってくれるなんて嬉しいなぁと思いまして」
「えっ 俺が奢るの!?」


あーあ、なんて単純なんだろう と 思いながら 私は黙って彼の腕を掴んだ







夏が終わり

夏が始まる





(10.5.4 うだうだ悩んでるなんて、面倒臭いよね)