先生が放つ睡魔の呪文の如き英文を聴きながら 右手でシャーペンをくるくる回す練習をする。
別にくるくる回せたからといって 偉くなるわけでも何でもない。
ただ 上手く回せた方が自己満足に浸れる、それだけだ。

しかし 毎日のように練習しているのに 私のペン回し技術は一向に向上しない。

(ペン回しの練習をする為に 私は予備校に通ってるのか)

我に返り、ペン回しを止めた。



プリントの英文と 初めて真面目に向き合う。だめだ、眠くなりそう。
退屈を紛らわすように、私はふと左隣に座る男子の様子を窺ってみた。

ルーズリーフが 文字で埋まっていく。ペンを走らせる音が なんともリズミカルで心地良い。
どうやら彼は真面目に授業を受けているらしい。

ちらりとルーズリーフに目をやる。なになに、子曰吾十有五而志乎学……

(英語じゃなかった)




#2 white chocolate




休み時間に入っても、左隣の彼は漢文の勉強をしていた。
寧ろ 暇潰しに論語の一節を書いている、そんな雰囲気なのだ。
そんな高尚な暇潰しがあってたまるか、と 凡庸な私は脳内で叫んだ。


すらりと細く長い指 白い肌 そして女子が嫉妬するであろう長い睫毛に艶やかな髪。

この佇まい……何処かで見た事のあるような、


「――仙蔵?」

私がそう呟くと 彼の動きが止まった。 此方を向いて 目を丸くしている。
まさかビンゴ?いや、そうそう物事が上手く行くわけ無い。

「あっ そのー……えへへ」

彼は 不審ににやつく私の顔、そして制服を 睨むように見ている。
ちなみに彼が纏っている制服は 県下一の進学校のもの。成績も凡庸な私にはまるで縁の無い高校だ。


「あの、どこかでお会いしましたか?」

(ええい ここまで来たら掘り下げるしかない!)

「私はです。単刀直入に訊きますが 私の名に覚えはありますか?」

そう言うと 彼の頭にクエスチョンマークが浮かんでいた。
彼が本当に立花仙蔵だとしたら、残念ながら前世の記憶は失っているようだ。

「……申し訳ない」
「い、いえ 知らなくてもしょうがないかなーって」

彼が怪訝な顔をしている。
それもそうだろう。見ず知らずの挙動不審な女が自分の事を知っているのだ、気味が悪いに決まっている。


「大川高校には知り合いが一人居るから その繋がりでどこかで会っていたのだろうか……」

私の制服を見つめながら 彼がそう呟く。

「もしかして さんは文次郎の友達か?」
「モ……モンジロー!」

人間の声をコピーしたインコのような喋り方になってしまった。

しかし 彼から文次郎という単語が出てきた――仙蔵と文次郎は既に知り合いだったのだ。
突風が全身を吹き抜けていくような 不思議な感覚がした。これが伊作の言っていた、縁というものか。


「そうそうそうなの!潮江君とはクラスと委員会が一緒で」

仙蔵の疑いの眼差しが 少しだけ和らいだ気がした。よし、もう少しだ。

「過去の写真を見せてもらった時に 仙蔵さんっていう名前を聞いて。それで貴方の事を記憶していたの」
「そうか、それなら私がさんの事を知らないのも無理ないな」

信じてくれたのだろうか?だが、この場を乗りきった事には間違いない。
これが今の仙蔵なんだ! ……嬉しさで 思わず顔が綻ぶ。


さん 凄く楽しそう」
「えっ?」
「さっきから ずっと笑顔だから」
「世界は狭いというか、縁ってあるんだなぁって……そう思ったら何だか嬉しくて」

そう言うと 仙蔵が初めて笑顔を私に向けた。

「可愛いね。文次郎の友達にしておくのは勿体無い」
「……かっ!?」

仙蔵ってこんなキャラだったっけ?と 必死に昔の記憶を呼び起こす。
“三禁”があった所為か、仙蔵の女絡みの話なんて聞いた事が無かったような……









居ても経っても居られなかった私は 急いで伊作宛てにメールを打った。
『予備校に仙蔵がいたよ!!お世辞が上手かった』
最後の一文は明らかに余計だが 構わず送信した。


オカルトチックな発想かもしれないけれど、きっと私達は繋がっている。
そう思うと 自然と笑みが零れてしまうのだ。




(12.4.4 漢文界一メジャーな『論語』の最も有名な一節を拝借)