忍たま長屋には、くノ一教室の授業で一服盛った菓子を作った時に 何度か足を踏み入れた
“女子禁制”を上手く掻い潜るのも 授業の一環だったのかもしれない

「ご機嫌如何かね、文次郎クン!」
「…うわぁ」

長屋で出くわす文次郎は、大抵 私を見て露骨に嫌な顔を見せていた
くのたまが其処に居る、つまり何か企んでいる事は明白であった

「菓子を作ったから文次郎にあげようと思って」
「結構だ」
「ちょっと!私の気持ちを踏みにじる気?」
「誰が はいそうですかと素直に受け取って腹痛くなる菓子を食うか!」

そう、こういうのははなからバレている
だから 痛い目を見ている割合が少ない下級生を標的にする子が殆どだ
私は下級生を狙わないと決めていたのだが、この縛りが己の首をぎりぎりと絞めていたわけで

「なんでは俺や伊作ばかり狙うんだ…流石の伊作でもお前の食べ物はもう食わんぞ」
「だって低学年のよい子達を苦しめたくないでしょうが」
「偽善するなら俺達にもしてくれ!」
「もう文次郎しか居ないのよ大人しく食べてちょうだい私の単位の為にっ」
「やめろバ…んぐぐ」

そうして無理矢理菓子を文次郎の口に詰めたら 三日間口を利いてくれなくなったっけ








長屋の廊下を一歩一歩進む毎に あの頃の思い出が蘇ってくる
私自身はあの頃から 一歩も進めていないのだろうか・・・


仙蔵と文次郎の部屋の扉をゆっくりと開くと 見慣れた帳簿を睨む男が一人 座っていた


「…どうせ仙蔵の手引きだろ」

文次郎は帳簿から目を離さない、わざとだ

「菓子、あげようか」
「お前の菓子は食わん」
「算盤ばかり弾いて そろそろ晩ですよ」
「それは安藤先生の真似か?」
「…戻ってくる気は無かったんだけど 戻って来てた へへっ」
「…………」


一回り大きくなって 声も低くなって それでも文次郎は文次郎だ
私が ずっと見ていた、

「ごめんなさい。久々知君と尾浜君に会った時に 私の事をそれとなく…だなんて」
「聞こうが聞くまいが、どちらにせよ俺はお前の事を忘れた事は無い」

漸く 文次郎が此方を向いた

「生きていると分かっただけで 嬉しかったからな」
「ふ、ふふっ…」
「なに笑ってんだよ」
「畏まっている様がちょっと可笑しくて…ははっ あははは」

「…泣きながら笑うなよ 何か悲しくなるから」


気付かぬ間に 涙が頬を伝っていた
泣くつもりなんてこれっぽちも無かったのに


「あ…っ 哀車の術じゃ…無いから…ねっ」
「分かってるよ…」
「不思議なの。こうやって…昔みたく 文次郎と話してるのが…」
「肝心な事をに言わねぇまま別れた事を後悔していた。が居なくなってからずっと」

彼の右手が 湿った私の頬に触れた

「お前の事が誰よりも好きだったって」


――このままずっと 夜が明けなければいいのに。そんな不毛な事を 暫く思っていた


「あの頃は認めたくなかった、一人前の忍を目指しているのに三禁のひとつに触れている事を。
 それでも やっぱり違うんだよな…他の仲間やくノ一達と、は。 お前だけが違って見えた」

涙が枯れてしまったのだろうか、いつの間にか 私は泣くのを止めていた

「未練があると 忘れられないし 過去の思い出にもなりやしない。私もそうだから…
 私だって文次郎の事を忘れたくても忘れられなかった。もう一度会えるって信じてたから頑張れた」


文次郎の骨張った手の甲に 己の掌を重ねる。
小さな傷が幾つか刻まれている手。私の手はすっかり綺麗になってしまったというのに


「…なに馬鹿真面目に語ってんだろうな、俺達」
「えぇ…ここで素に戻らないでよー…何だか恥ずかしくなるから」

可笑しくなってくつくつと笑っていたら、強い力で抱きしめられた
その瞬間 全身に熱が駆け巡る。漸く救われたような気がした


、ありがとう」
「…すき」
「ああ」
「昔も 今も」

どちらからともなく唇を重ねる。そろそろお別れの時間だ

「…じゃあな」
「うん、さよなら」



私は静かに部屋を出た。心の中で仙蔵にも礼を言う
そして 誰かに見られないよう 迅速に学園の敷地を飛び出した


振り返ってはいけない 此処に留まっていてはいけない
振り返ってはいけない

涙は もう出ない



「あー…寒い」

頻りに降っていた雨は 雪へと変わっていた、道理で寒い訳だ
こんな夜は熱いお風呂に入って さっさと寝てしまうのが一番だ





7.烏兎匆匆、またいつか







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(11.8.23 会えただけでよかった)