眠気眼を擦りながら井戸水を汲んでいると、どたどたと 背後から軽快な足音が聞こえてきた
反射的に 背中を強張らせる

ー!元気かー!」

小平太が 抱きついてきた…というより体当たりしてきた
その衝撃に思わず「ぐぇ」と、蛙のような声を出してしまった

「痛たた…こんな朝早くから元気な訳が無いでしょうが」
「私は元気だぞ?」
「貴方の常識を私に押し付けないでくれる?…って、ちょっと」

悪びれる様子も無く 後ろから私の胸を触っている
というよりも、揉んでいると言った方が適切な表現であろう

「…フツーに触るよね、悪びれる事も無く」
「柔いんだから仕方ない、そもそも嫌なら逃げたらどうだ」
「何それ!逃げられないよう馬鹿力で拘束してるのはそっちでしょうが!」


抱きつかれたり 耳に息を吹きかけられたり 色々と触られたり・・・
ここまで来ると、不思議な事に 犬とじゃれている気分になるのだ

初めのうちは羞恥心で必死に拒もうとした
だが 如何せん小平太の力と私の力の差は歴然で がっちり拘束されると身動きも取れない
こんなくだらない事をシナ先生に相談するのも憚られる
…そう思っているうちに すっかり慣れてしまったというわけだ

どうせこの男、本能のままに動いているだけだ
そう、本能・・・・本能?


「ねぇ 小平太ってさ、女の子全員にこういう事してる?」
「いーや、だけだ」
「どうして私なの?…もしかして 獣を惹き付ける匂いとか出てるのかしら」
「私がを好きだからに決まってるだろう!」

あまりに大声で言うものだから 水が並々注いである桶を盛大にひっくり返してしまったではないか

「あぁもう足濡れちゃった…というか、好きだったら例えば…照れたりするでしょ?」
「照れるのか?」
「…だからぁ、あの人の事を考えるとキュンとして夜も眠れないの!とか」
「自慰の話か?」
「……もう結構です…」

彼にとって私は 獣を惹き付ける匂いのする生き物的な何かなのだろうか
私の中で 怒りよりも虚しさが勝った
小平太に聞こえるように わざと深い溜息を吐いて 私は一人 食堂へと向かった






 *   *   *






、おはよう」

伊作がひらひらと手を振って 此方へとやって来た

「あぁ伊作!おはよう」


二人で食堂のおばちゃんに注文をする

「親子丼定食、大盛りで」
って 朝からかなり食べるんだね…あ、僕はいつもの定食で」


食事を受け取り 伊作と隣同士に座った
混雑する時間よりも早めに来たので 食堂はかなり空いている

「ちょっと朝から疲れちゃったから、がっつり食べて元気出そうと思って」
「井戸の所で 小平太に好きだーって言われてたね」

あの場面を見られていたのか
明日から 少し混雑するがくのたま長屋専用井戸を使用しよう

だって小平太の事が好きなんだから 良いんじゃないのか?」
「…あいつは私というより 私のふにゃふにゃした肉の感触が好きなのよ」

他人よりも筋肉が付きにくい事、悩んでるのに

「小平太だって僕達と同い年なんだし の事は普通におなごとして…」
「おなごとして純粋に好きだったら乳揉むか!?」
「ちっ……う、うーん…それは…」


芋煮も頼めばよかったかな、と考えていた時 音痴な鼻歌が廊下から聞こえてきた

「おばちゃーん!親子丼定食!大盛り!」

鼻歌の主は 食堂に入るなり大声でそう叫んだ


「…伊作、なにニヤニヤしてんのよ」
「同じもの頼んでる辺り、二人って本当仲良いよね」
「ただの偶然だから!」



お盆を抱えた小平太が 私達の目の前に座った

「おはよう小平太、ところで僕もに抱きついていいかな」
「えっちょっと伊作!いきなり何言ってんの!?」

まぁまぁいいから、と言わんばかりに 伊作が私に目配せをした
…確かに、ここで小平太がどう答えるかは 気になるかもしれない
おう、柔くて良い感触だぞ!なんて言ったら お盆で叩いてやる


「それは私の特権だから、だめだ」

そう言うと 小平太が凄まじい勢いで定食を掻き込みはじめた


「…じ…冗談だからね?僕には好きな女の子が居るし」
「そうか冗談か」

そして また定食を掻き込む
あっという間に 小平太の丼と皿は空っぽになっていた


「ごちそーさま!よぉし、ひとっ走りしてくるぞー」

つくづく、嵐のような男だ
来たと思ったら もう行ってしまった…


唖然としていると 伊作がくつくつと笑いだした

「大丈夫だよ、君の好きと小平太の好きは 絶対同じものだから」
「・・・・?」
「素直で真っ直ぐなだけだよ、色々と」






 *   *   *






「授業が始まるまでちょっと休憩しようかな…」

食休みを兼ねて 木陰に腰掛けた
この木陰は 低学年の頃からのお気に入りの場所だ


!」

「・・・うわっ!」

木の上から小平太が降りてきた
気配を消していたのか、私とした事が 小平太の存在に全く気付かなかった


は大盛りご飯を食べた後、必ず此処で休む」
「…よく分かってるじゃない」

小平太はにこっと笑うと 私を抱き寄せた
いつもの強引なそれではなく 割れ物に触れるかのように優しかった

「私に抱きつく事、いつから貴方の特権になったのよ」
にこうする奴が他に居るか?」
「居ない」
「なら 私だけが許されてるって事だろ」
「うー…ん?」

おいおい、私の承諾は得ないのか


「……は可愛いからなぁ…そろそろ誰かに狙われてもおかしくない」


この雰囲気は 犬とじゃれ合っているようなものではない
なんだか 今、とても緊張する  なんだろう これは


「嫌だったら 逃げてね」
「え?」

小平太が 鼻先がぶつかりそうな迄に顔を近づけてきた

回らない頭を必死に回そうとするが どうやら私の身体は硬直してしまったようだ
何故身体が動かないんだろう…そう思っていたうちに、唇に柔らかい感触がした

「……?」

その声で我に返ったのか、私の身体がようやく言う事を聞いた

「なっ ななななにどうしたの急に!?」
「嫌じゃないのか?」

それは この行為の事を言っているのだろうか ――何を、今更

「嫌じゃない…よ、小平太の事は好きだから…」

聞こえるか聞こえないか程度の小声でそう呟くと いつもの馬鹿力で抱きしめられた

「本当か!?ならもっかい!」
「ちょっ 待っ……ん…んぐぐ…」


「・・・ふと思ったんだ、がずっと私の傍に居るとは限らないんだって」


伊作の言葉を反芻した――『小平太だって僕達と同い年なんだし…』
私は彼が成長しているのを見ようとせず 昔から変わらないその明るさだけを見ていたんだ

「そしたら 早く私だけのものにしとかなきゃマズイなーって思ったんだよね」

そう言うと 人懐こい笑顔を見せて 私の頬を撫でてきた



私は 小平太が大人になっていくのを認めたくなかったのかもしれない
私に構ってくれなくなったら、余所余所しくなったらどうしよう  そう心の奥底で考えていたんだ

でも それはくだらない杞憂に過ぎなかったのかな



「…あ、今日くノ一教室は全員参加の野外訓練だった!あー…もう遅刻だな、こりゃ」
「私が運んでやるぞ?まだ間に合う」
「えぇ!?でも裏々山の…」
「四の五の言わずに乗った乗った!」



まさかこの歳にもなって 小平太に背負ってもらうとは思いもしなかった
…こんなに背中、広かったっけ

特別意識してしまうと こうして触れているだけでも顔が火照ってしまう
本気でくノ一を目指す為に 色の授業を取っている子達なら 平然としているのだろうが

私はやはり割り切れないようだ、この人以外に触れられたくはないし 触れたくもない


「…ありがと、小平太」
「おう!」






昵懇のままで



(11.1.30 これからも仲良く過ごしたいね)