「例の彼女に 甚く御執心な事で」

そう言ってくつくつと笑う伊作を 留三郎が睨む
すると伊作はごめんごめん、と呟いて また笑った

「別に。休みの日にしか会ってねぇし」
「うんうん」
「…お前、馬鹿にしてるだろ」


(俺は彼女に取り憑かれてしまったのか)






匣に囚われたかのような







裏々山の麓にある屋敷に と名乗る女が住んでいた
は 屋敷の離れで寝食をしている


「もしもし そこのお兄さん」

は格子窓の内側から 路地を歩いていた留三郎に声を掛けた

「何だ?」

訝しげに答える留三郎に が微笑む

「私はこの家の主人によって此処に閉じ込められたの」
「…で、」
「此処から出る事が出来ないの。だからね、私の話し相手になってほしいんだけど」



休日の昼下がりに出会った 不思議な女。留三郎は伊作にその旨を話してみた
「厄介事に巻き込まれたら大変だし あの路地通るの止めた方がいいね」
伊作はそう答えた。留三郎も伊作と同意見だった

あの女の事は忘れよう
――だが 彼女の少し哀しげな瞳が脳裏に焼き付いて 忘れる事が出来なかった






「…やっぱり来てくれた」

翌日の放課後、気付けば留三郎は あの路地に居た

「助けてとは言わないのか?閉じ込められているんだろ」
「うーん、そう言われても…」
「だいたい 格子を外せば 大の大人でも出れる窓の大きさだろうが」
「外す術も無いし、そもそも脱出した所で 私は殺されてしまうわ」

無理にでも脱出しようという気概は無いのだと 留三郎は感じた

「私の名は。貴方は…言いたくないなら答えなくていいけど」

そう言われたので 留三郎は名を教えなかった
忍者たるもの そう簡単に素性を明かすものではない
そもそも留三郎は 彼女が本当にという名なのかも疑っていた


「私さぁ、貴方以外に話し相手が居ないんだよね」
「…昨日のように 色んな人に話し掛ければいいだろ、その中から」
「こんな所 猟師か忍者くらいしか通らないでしょ」

忍者という単語に 留三郎は一瞬たじろいだ


「ねえ、手 出して」

が 格子から右腕を伸ばす

「…ほらほら!別に取って喰おうなんて思ってないよ、これを渡したいの」

留三郎が恐る恐る手を出すと がその手に小さな木箱を置いた

「なんだこれ」
「私の御守り。こんな薄暗い所に置き続けてたら御利益が無くなりそうだし 持っててよ」
「…さんの御守りを俺が持ってたら それはそれで御利益が無くなるんじゃないか?」
「今だけ。私が此処から出れた暁には また返してもらおうかな?…なんてね」

切なそうに微笑むの顔は またもや留三郎の脳裏に焼きつく事となった




 *  *  *




以来、休日になると 留三郎はの許に行った

何故 彼女の事が気になるのか、それでも何故 彼女を助けようとしないのか
自身の事とはいえ 留三郎にはそれが解らなかった


そんな様子を 伊作は面白半分に見ていた

(留三郎が一人の女の子に夢中になっている姿なんて 見れないと思ってた)







「あの木箱 持っていてくれてる?」

格子越しに微笑むが訊ねる

「御守りとか言われたら 捨てられねぇよ」
「木箱の中身は開けた?」
「開けてない。他人の持ち物を見る気は起きん」
「…真面目なのねー」


実際 留三郎は気になっていた
振ると からからと音を立てる 箱の中身は何なのか?

だが、これは預り物。そう思い 決して箱を開く事は無かったのだ


さん、俺に木箱を“預けた”って事は 此処から出る気なんだろ」
「まあ、いずれ出たいなーとは」

留三郎は 苛々した。はどうしてそんなに無気力なのか

「…出たいって、言えよ」

が時折見せる哀しげな瞳が 嫌だった
そして 指先しか触れられない距離感も 嫌だった

(此処から出たいと言えば 今すぐにでも出してやるのに)


「出たいって言ったら 貴方は私を助けてくれるの?」

留三郎が頷くと は首を横に振った

「此処から出ても 私は追われる身になって、結局殺される」
さんが何で殺されなきゃならねぇんだよ」
「この屋敷で働いていたんだけど、家主を怒らせちゃったの」

「逃げたいって、言えよ…」
「貴方は 私の味方で居てくれる?」
「…ああ」

は 顔を紅潮させた

「そう言ってもらえるだけで 私は充分、嬉しい」





翌週の休日も、いつものように留三郎はあの離れへと向かった

だが の姿は無かった





 *  *  *





留三郎は その晩 何刻経っても寝れずにいた

(何故は居なかったのか。無事なのか 何処に居るのか)


留三郎は徐に立ち上がると に預けられていた木箱を手にした
部屋を出て 長屋の廊下に腰掛ける
そして 小さい割に重厚な箱の蓋を ゆっくりと開く

そこには 大小様々な鍵が何十本と入っていた


「…なんだこりゃ」

普通の町娘が 鍵をこんなに持つ筈が無い


「けーまーくんっ」

留三郎の頭上から 小さな声が飛んだ
身構えて振り返ると 長屋の屋根から忍者が飛び降りてきた

「何者だ……って、さん…?」
「正解!」

紺色の忍装束を身に纏い 涼やかな表情をしたの姿
格子越しには見えなかった、程良く筋肉のついた手足

「その箱 預ってくれてありがとう」
「いや あの、どうして ていうか俺の名前知っ…」
「これは城で使用する鍵。食満君の名前はさっき調べた。何故って?私はくノ一ですから」

哀しそうなあの瞳は何処へやら。は 心底楽しそうに微笑んだ

「いやいや…くノ一ならあんな屋敷、さっさと脱出しろよ」
「さっさと脱出してたら食満君に会えなかったじゃない」
「そういう問題じゃ、……貴方は 本当にくノ一なのか」
「ええ」

留三郎の腰に が腕を回す。と同時に 彼の胸に自身の顔をうずめた

「一応食事も貰えたし あの状況に飽きてから脱出しようかなぁと思ってたんだけど…」
「…おい、随分と近いんだが」
「でも食満君に格子無しで会いたかったから 出てきた」

これだからくノ一は嫌なんだ、と 留三郎は思った

「一目見た時に 食満君が忍術を学んでいる事は判った。半分勘だけど」
「だから俺に声を掛けたのか」
「それも少しだけあるけど、純粋に話し友達が欲しかったのもあるかな…」

留三郎は落ちつかなかった
真夜中といえども 長屋で女とくっついている状況、誰かに目撃されたらどうするんだ
…そう思うのだが 突き放すような真似はしなかった


「どうして俺に箱を預けた」
「脱出した後も、食満君に会う為に」
「…どうせ押し掛けてくるなら 意味ねーだろ」
「それもそうだ」
「なんだそれ」
「へへっ」

どちらからともなく 二人は唇を重ねた
どうしてこんな事をしているのか 互いに不思議だった
ただ 二人を阻む物が何もなかった、それだけで


「…私 一応フリーの売れっ子くノ一なの。山田利吉より劣ってるけどね、あはは」
「こんなに、城だか蔵だかの鍵をくすねて 随分大胆なやり口で」
「だから時々怖いのよ、いつバレて葬られるかハラハラしちゃって…」
「だろうな」
「一時的に雇われてたあの屋敷の主に鍵入り木箱見られてさ。胡散臭いからって軟禁されてたのよ」

そう言いつつも はどこか愉快そうであった
忍という生き方を心の底から楽しんでいるのだ

というのは本名か?」
「ええ。偽名だったら なんとなく深い仲になれないような気がして」


(俺は騙されているのか?まんまと惹かれるなんて 愚かだな)

(自分しか信じない私が忍者の卵に本気になるなんて 可笑しいな)


の哀しい瞳は 本当に友達が欲しかったのか ただの哀車の術だったのか
留三郎はどちらでもよかった


「また会いに来ていい?」

が留三郎の耳元で囁いた

「…長屋は困る」
「確かにこんな所、よい子達に見られたら大変よね」

頭巾と覆面をしっかり着けて ひらひらと手を振りながらが夜の闇に消えて行った





微かに残る彼女の香りに 留三郎は思わず苦笑した

「六年の奴らに見られてるって気付いてたくせに 何言ってんだか、あの女」


この後、一連の流れを覗き見していた同級生達に冷やかされ 留三郎は深い溜息を吐く事になるのであった







(11.6.28 小平太が無意識に言いふらすに五銭)