今日は、怖いくらいに綺麗な満月だ。
寝床に入ってもなかなか寝付けないのは、この蒸し暑い夏の季節ではそう珍しいことではない。そんな時はいつもこうして、寝巻きのまま庭へ出て、少し大きめの石に腰をおろす。六年間の学園生活で、身にしみついてしまったものである。

「…外は、涼しいなー…」

軽やかな虫の音がそこかしこから聞こえてきて、自然と心を落ち着けてくれる。明るすぎるくらいの月の光が池の水に反射して、きらきらと光る。そんな水の流れを、何を考えるでもなく、ただじっと見つめていた。

「何をしている」

低い声にびくりと肩が震えたけれど、見知った声音に少し安心して、ゆっくりと顔を上げた。

「仙蔵」

逆光で見えなかった顔が、仙蔵が近づいてきたおかげでだんだんと見えるようになる。仙蔵は忍装束のまま(鍛練でもしていたのだろうか)、高く括りあげられた髪は優雅に揺れていた。

「こんな真夜中に、何をしているんだと聞いているんだが」
「何って、ただ涼んでるだけだよ」

少しの間黙った後、そうか、と言って私の隣に腰を下ろした。あれ、なぜ私の横に座る。

「仙蔵は何してんの」
「…まあ、お前と同じ理由だ」

そう言って丸い月を見上げた。真っ向から照らされている仙蔵は、白くて、綺麗で、それなのにかっこよくて、…なんか、悔しい。女の子なら誰でも欲しがる美しい黒髪に、白い肌、端正な顔立ち。それに成績は筆記、実技共に優秀。全く、うらやましいを通り越して少し妬ましいぐらいだ。じっと仙蔵の横顔を見つめているとふいにこちらを見て、ふっ、と嘲笑うような笑みを投げかけられた。

「…なによう」
「いや、あまりにも物欲しそうな視線を向けられたのでな、つい」
「ふん、別にその綺麗な黒い髪がほしいな、とか白くていいな、とかなんて思ったりしてませんよーだ」
「正直な奴は嫌いではないぞ」

仙蔵はふふ、と笑みをこぼした。先ほどの、いつも文次郎などに向けるような笑みではなく、素直な微笑みだった。
きゅ、と体の奥が締め付けられたように痛んだ。それをごまかすように、顔を俯かせて揺れる水面を凝視していたら、ふと視線を感じて仙蔵の方を見ると、ばちりと目が合ってしまった。

「なに… っ!」

仙蔵の手がゆっくりと伸びてきて、私の頬に添えられた。暖かいその掌が吸いつくように離れなくて、私はどうしたらいいかわからなくなってしまう。

「せん、ぞ」
「…お前、冷えてるじゃないか」

夏には変わりないが今は夜だぞ、いつまでもこんなところにいたら、冷えるに決まっているだろう。馬鹿者。そう言うと頬から手を離して、ぱちっ、と額にデコピンを食らった。い、いたい。

「なにすんのばか」
「何度言えばわかる、馬鹿はお前だ」

そう言うといきなり装束を脱ぎ出した仙蔵に目ん玉が飛び出るかと思った。小さく声を上げて私は自分の目を覆った。

「なっなにいきなり脱いでるんですかあなたは変態ですか!ばか!」
「聞き捨てならんなその言葉… ほら、」

言葉と一緒に肩から温かさが降ってくる。目を覆っていた手を放すと、緑の忍び装束が私の肩にかかっていた。ほんのりと仙蔵の体温が残っていて、温かい。確かに仙蔵の言う通り、少し冷えていたのかもしれない。
黒い前掛けのみになった仙蔵を、やっぱり目に入れるのは何となく恥ずかしくて、ぎゅっと掛けられた装束を握った。

「あ、ありがとう… あ、でも、仙蔵が冷えるんじゃ」
「気にすることはない、鍛練の後で少し暑すぎると思っていたところだ」
「…仙蔵も夜中に鍛練するんだね、文次郎みたい」
「あの馬鹿野郎と一緒にするな、心外だ」

少し呆れたような顔で言う仙蔵がなんとも面白くて、小さく笑みを零す。すると仙蔵はこちらを見て、私を視線に捉えた。

「誰にでも貸す訳ではないぞ」

お前だからだ。

仙蔵はとても真剣だ。いつも、いつも。今だって。

「風邪を引かれては困るしな」
「あ…、 っえ ? どういう、」

私は頭がパンク状態で、ぐるぐると回る思考回路をなんとか正常な働きに戻そうと躍起になっていると、仙蔵がまた手を伸ばしてきて、今度は私の髪をさらりと掬った。

「風邪を引けば、伊作のところに行くだろう」
「え、あ、まあ、そう、だね?」
「いくら苦楽を共にした仲間と言えど、お前に触れることは許しがたい」

ふ、と仙蔵が笑った。今度は、少し挑戦的で、それでいてどこかやさしい色を帯びている。

「これがどういうことか…いくらお前でもわかるな?」

少し混乱していた頭は時がたつにつれ落ち着いていき、それでもなお「わからない」と言えば、仙蔵は「困った奴を好いてしまったものだ」と言いながら、ゆっくりと顔を近づけた。




(温風を紛らわす)



きさら様に捧げる仙蔵夢でした遅くなって申し訳ないです… 返品可能ですので!ありがとうございました!





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倉本さんより戴きました。ありがとう!
立花という理想郷に酔いしれました、見事に。