起床すると 姑が珍しく微笑みながら 私を手招きした その不気味ともいえる微笑みに 一抹の不安を抱く 柱の陰から あの男も情けない顔をしながら此方を見ている …益々不安だ 「さん」 「はい」 「今日、家に女の子が来るの」 おもてなしをしろ、とでも言われるのだろうか 「だからね、さんは侍女になりなさい」 一瞬 思考がぱたりと停止した 「……えーっと…はい?」 「貴女、掃除だけは上手いでしょ?だから侍女という役割を与えてあげる」 「…どういう事ですか?私はこの家に嫁いで、」 「貴女、まさかこのままタダ飯を食べ続けて生きていく気?」 どうやら 女の子が来る、というのは 旦那が新しい妻を娶るという意味らしい 理由はすぐに判った 子供が出来ないからだ 昨夜 あの男に「何故厠に行くのか」と問われた 恐らくあの男は私が病気かなにかかと不安になったのであろう そして姑に相談したのだ、私の“異常”を 「欠陥している娘に用は無いけど 野垂れ死ぬのは気の毒だから使ってあげるのよ」 嬉々とした表情で そんな台詞を吐くなんて この鬼婆 私は 目の前の姑を殴ろうと疼く拳を必死に抑えた こんな所でこき使われる位なら 野垂れ死んだ方がまだマシだ 「…居る訳無いでしょ?こんな家。さっさと潰れちゃえばいいのに」 * * * 急いで最低限の荷物をまとめ、逃げるように家を出た ただでさえ この家にとって邪魔者な存在となった上に 暴言まで吐いてしまった これは 下手すれば殺されかねない状況である しかし此処で生かされるのが 学園で鍛えられた身体と経験だ それはもう自分でも驚くべき素早さで 私は西の方角へと駆け出した 今更 実家に帰っても どんな顔をして座っていればいいのかわからない 住む場所は無いが、私の行先は決まっていた 学園の傍へ…楽しかった日々の思い出が詰まった あの場所の傍へ 住居等は追々考えればいい、とにかくこの場から立ち去ってしまわなければならない こんなに 空って青かったっけ 小鳥が楽しそうに囀っていて 私までなんだか楽しくなってくる 「潰れちゃえばいいのになんて言っちゃった…でも、ちょっとスッキリ!」 寝食もせず 私は駆けた 疲れた、なんて一切感じない 今迄の苦しみに比べたら この程度 苦でもなんでも無いんだから 夜が来て、朝が来て、また夜が来て・・・ 幾日かそれを繰り返し 私はようやく学園のある村へと辿り着いた ひとまず 学園から一里近く離れた位置にある茶屋で食事をする事にした この茶屋は どうやらお婆さんがたった一人で切り盛りしているらしい 「お茶をください」 「あいよ」 「ひとつお訊ねしたいのですが、この近くに泊り込みで働ける場所はありますかね?」 「あんた 行く処が無いのなら アタシの手伝いをしてくれんかね」 「…お茶屋さん…の?」 お婆さんの優しい瞳に 薄汚れている私が映る 「年の功ってやつでわかるのさ、あんた 行くアテも無いんだろう?」 3.広き此の世に飛び出せば こうして 茶屋で働く事となった 稀に 忍たまらしき子達が この茶屋でお団子を美味しそうに頬張っていく 私は時々 彼らの話をこっそり聞いては 懐かしさに思わず顔を綻ばせていた 「そこに斜堂先生が現れてさー」 「うわぁ ちょっとしたお化け屋敷気分だね」 斜堂先生は私もよく知っているが 話を聞く限り相変わらず暗いようだ 目の前に居る少年二人の話を楽しんで聞いていたその時、とんとん と 後ろから突かれた 振り向くと スコップを抱えた少年が一人 立っていた 少年の着物には微かに泥が付いているが 穴でも掘っていたのだろうか… 「お姉さんは ばあちゃんの孫なんですか?」 ばあちゃんとは 茶屋のお婆さんの事である 「違うよ、私は雇われているだけの普通の女」 「そっか。ばあちゃんって今迄誰も雇おうとしてなかったから 吃驚して」 そう言うと 少年は椅子に腰掛けた 「…お姉さんは くノ一?あと 出身は忍術学園?」 その問いに どきっ とした この少年、ふわっとした空気感だが 忍たまだったのか 「…どうして?」 「向こうに居る一年生の話を にこにこしながら聞いてたから」 「いや 微笑ましいなと思って 純粋に話を聞いていただけよ」 「斜堂先生っていう単語に 最も反応してたよ」 参ったな、完全に一本取られた 「うーん…バレバレだね。そうだよ 四年間くのたまだった」 「辞めちゃったの?」 「ええ。嫁ぐ事になったから…」 この少年は 何年生なのだろう せめて 学園の忍装束を着ていれば判ったのだが 「あー、そう言われれば お姉さんの顔…見た事あるような無いような」 「きっと学園内ですれ違った事はあるでしょうね」 「でもお姉さんは優しい人だと思う。嫌な人ほど覚えているものだから」 下剤入りの菓子を作っても 下級生には絶対渡さないという意思を最後まで曲げなくてよかった 文次郎や伊作には 優しい人だなんて思われた事は全く無いであろうが 「そろそろ戻らなきゃ。またね、お姉さん」 「…お茶、注文しないの!?」 「今日はお姉さんが気になっただけだから、次来た時に」 もう一本 取られてしまった 最近の忍者のたまごは 口も達者なのか 「あっ…スコップの用途くらい 訊けばよかった」 NEXT → (11.2.16 外に出ると、色んな人に出会える) |